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2005.05.21 Sat
励起する島

瀬戸内海に浮かぶ小さな島、直島。
そこには様々な形で現代美術作品が設置されている。

現代美術と建築が融合した
フィールドワークによって
島は励起する。

宿泊することのできる美術館。
空間作品としてそこにある家。
屋外に設置された数々のオブジェ。
海に向かう山に埋められた地中美術館。
ここにあるサイトスペシフィックな作品たち。
空間に作品が設置され、
その空間がさらに大きな空間に設置され、
その大きな空間がこの世界に設置され、
再帰的に続くインスタレーションという行為。
日本に設置された直島という作品。
そして知覚を与えられたわたしという存在。

先日、金沢21世紀美術館で、
ジェームス・タレルの「ブルー・プラネット・スカイ」を見ました。

四角く切り抜かれた空。
身体をつらぬく圧倒的な光。
存在と非存在のはざまに
わたしがふとそこにあるような
そんな静粛な体験。

地中に埋められたタレル
失われた寺の跡地にあるタレル
それはどんなものなのだろう?

どうしてもどうしてもどうしても見たくなり、
直島に行くべきか、
生きるべきか、死ぬべきか、
それほどに私にとって重要な問題になり、
とうとうやってきました、直島。 まず地中美術館へ向かう。そのアプローチの途中にさまざまなオブジェが点在する。幻惑の水玉がみっちりと描かれたグロテスクな草間彌生のかぼちゃが海に突き出し、ジョージ・リッキーの大きな3つの正方形が海の風を受け揺らぎ、海岸には打ち捨てられた大竹伸朗の船底のオブジェ。たくさんの作品を鑑賞しながら、結構きつい山道を歩いていく。そしてやっとチケットセンターへ到着。チケットとともに手渡されるパンフレットが美しい。さらに山を登る。色に満ちあふれ、光あふれるモネの庭。地中の庭。睡蓮。池に睡る蓮の繊細な姿を見ながら、さらに上昇する。そして頂にそれはある。ファザードは、とてもシンプル。なぜなら美術館は埋まっているから。瀬戸内の海とそこに浮かぶ島々に向かい、その美しい風景をとどめるために、深く地中に埋められている。わたしはコンクリートのひっそりとした建物に入り、長い廊下を歩く。その先に、光庭。いにしえの植物が四角く切り取られた空を仰ぎ、わたしもその強く鮮やかな光を浴びる。そして、また上昇。傾斜したコンクリートの廊下を抜け、地中に潜っていく。上昇し、下降し、すでに自分がどの高さに存在しているのかわからなくなる。潜った先には思いがけず大きな空間。光はすでに力を失い、やわらかにわたしたちを包む。地中にあるこの美術館は4つの素材のみでできている。コンクリート、鉄、木、ガラス。質感が全て統一されていることで、空間に強い「場の力」が生じる。そしてその「場」が地中に埋められていることを思い出す。地中でしか存在しえない構造。地にその存在を許された作品だけがそこにあるのだと思う。ガイドの言葉を思い出す。「人間の強さを信じているんです」「だから安藤忠雄は作品に対するアプローチを長く困難なものにしているのです」わたし自身の力で地中に埋められた作品を掘り起こすのだ、と思う。わたしのもつ力で埋葬された作品と向き合うのだ、と、タレルの作品へと向かう覚悟を決める。

タレル作品のアプローチとして、「アフラム、ペール・ブルー」がある。強く透明な光がわたしのこころを作品の世界へ誘導する。そして「オープン・フィールド」へ。ただ、体験だけがここにある。知覚が揺らぎ、身体が揺らぎ、世界が揺らぎ、圧倒的な光と空間のインスタレーションに、ただ呆然と、ここにあるわたし。見えるもの見えないもの、あるものないものの境界はもはや存在しない。スピリチュアルでとびきりの体験。そして、最後に金沢でも出会った「オープン・スカイ」。なぜこんなにこころが揺れるのだろう。地中から見上げる空。地中に埋められたわたしが見上げる空から、いのちのひかりがふりそそぐ。

モネの部屋も、ウォルター・デ・マリアの部屋も、巨大な吊天井のすきまからもれる、天上の光を受け、すばらしく美しい。モネ・タレル・マリアの作品は、その作品のためにつくられた空間で、ゆったりと身をよこたえているように感じる。この地中の安息の地で、永遠に存在することを約束され、安寧の睡りについているのだ。わたしもここで埋葬されたい。地下深く三角に切り取られた光庭をめぐるスロープで、鋭いスリットからもれる光を感じ、地上に戻ってゆきながらも、わたしは強く願う。永久に睡りたい。この地中で。

ひゃくねんたってせんねんたって、わたしのたましいがほろび、みじかにいるひとびとはさり、わたしにかかわるきろくもきおくもしょうめつし、みたことのないせかいがひろがっていたとしても、ここに、このうつくしいせとうちのしまに、せとうちのうみにむかうおかのちちゅうに、モネがマリアがタレルがうまり、えいえんのねむりをたのしんでいる。

この夢想は、わたしの空白に、すっぽりと、埋まっています。
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【アンナの日記】

ホロコーストの時代に生きたアンネ・フランクにこの日記は関係ないけれどいつか訪れたいアウシュビッツの風景を記録として記憶として鮮明に残せるよう日常を少しづつ撮影してみたり文章を書いてみたり

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