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2005.06.21 Tue
親愛なるキティへ

「(不安に際しては)すべての物と我々自身とが一種のどうでもよいことへと沈む。しかしこれは単なる消滅ではなく、すべての物と我々自身とが、この滑り去ることそれ自体によって、我々の方へ向く。不安に際して、我々の周囲でひしめいている<全体として有るもの>のこの滑り去りが、我々を圧する。いかなる支えも残っていない。ただもう、有るものの滑り落ちによって、この『いかなる ― もない』だけが残っていて、これが我々に降りかかってくる。不安が無をあらわにする。」形而上学とは何か/ハイデガー

「良心の呼び声を了解することで、現存在はダス・マンとして自己を喪っていたことがあらわになる。決意性によって、現存在は自己のもっとも固有な存在の可能性へと回帰する。この自己に固有な存在の可能性が、本来的に捉えることができるのは、最も固有な可能性としての死へと関わる、了解しつつある存在においてである」存在と時間/ハイデガー

ヴィトゲンシュタインと並ぶ
もうひとりの20世紀の思想の巨人ハイデガー。黒森の哲人。

「死に臨む存在」として、
「そこ」に投げ出されたわたしたちの身体。

人間という現存在は、
「死」を意識することによって、
過去をひきずりながらも、
本来的な自己へと向かって、
自らを投げ込むのでなければならない。

ここにある身体を
見つめてください。
否応なく
「ここ」に
このよるべなき世界に、
投げ出された、
わたしだけれど、
わたしの身体は、
「存在」と「時間」という、
メタファーを、
理解しようとして、
言葉にならない、
像を、イメージを、
カタチにしようとして、
「死」に臨んで、
未来へと、










親愛なるキティへ
もういちど会えてうれしいです。
あなたの存在がわたしにとって、
どれほど大きかったか。
アンネとアンナが共有する、
もうひとりのわたし。
また、いつか、
お会いしましょう。ね。
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【アンナの日記】

ホロコーストの時代に生きたアンネ・フランクにこの日記は関係ないけれどいつか訪れたいアウシュビッツの風景を記録として記憶として鮮明に残せるよう日常を少しづつ撮影してみたり文章を書いてみたり

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