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2005.10.27 Thu
はみだしすぎ

コミュニケーションの手段として、
社会を成り立たせるシステムとしての言葉。

小さな頃に言葉のようなものを発して理解を得た瞬間、
とてもプリミティブな感情で嬉しいと感じたように思う。

ヒトがこの地球という世界で生存するために、
私たちは種として言葉とともに進化することを選んだのだから、
言葉の習得にプリミティブな喜びがあるのは当然で、
そこには言葉として本来の美しさがあると思う。
ヒトをつなぐ役割をになう存在である言葉はそれ自体とてもステキだと思う。

けれど、この世のあらゆる存在は言葉をはみだしている。
わたしの使う言葉があなたのそれとは違うということではなく、そのままの意味で。
宇宙から見た地球のようにあらゆる意味で境界などないから。
言葉で表されることがらは解釈でモデルでメタファーなのだから。
ほんとうはここにはまぜこぜのエネルギーが闇雲に在ったり無かったりするだけなのだ。

そんなことを考えてると、
ムムム~となりつつも、ラララ~となります。

ここに在ることを選び続けるためには、
変化し流れる空気を風と呼び、
意識をつかさどる器官をこころと呼び、
メタフォリカルな思考で世界をとらえ、
言葉で何かを共有し交換しなければならないのです。
はみだしていることを知りつつも、
言葉にせずにはいられないのです。

ラララ~♪で、ムムム~?ですね。

『根本をわかろうとするというのは、無意識の舞台へと移ってしまったものごとについての意識をとり戻そうとすることだ。あんまりやりすぎると心を乱すことになるのは確実である』/サミュエル・バトラー

でも、少しは取り戻したいねん。
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【アンナの日記】

ホロコーストの時代に生きたアンネ・フランクにこの日記は関係ないけれどいつか訪れたいアウシュビッツの風景を記録として記憶として鮮明に残せるよう日常を少しづつ撮影してみたり文章を書いてみたり

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