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2005.10.28 Fri
ヒント

境界って何?と近しい人に質問してみたところ、こんな風に説明してくれました。

『確かに君の言うように厳密な意味で境界というものは存在しないかもしれない。それどころか、「わたし」という存在なしで世界が本当に存在しているのか知ることはできない。それは様々な分野の科学者たちが考えてきたことだし、それを調べることも悪くないことだと思う。ただ、いま言えることは、境界という考え方において重要なのはスケールなのではないかということだ。人は自らの寿命に応じた時間のスケールと、生活範囲に応じた空間のスケールを持っている。現代は、今まで知り得なかったスケールのものが見えたり、語られたりしているので、君はより混乱しているのだろう。人の持つスケールについてもう一度考えてみよう。「わたし」という肉体が、空気の満ちた空間を通じて、ある存在に接触したとしよう。その時に生じる「在る」という感覚は、スケールの違いから生じているのではないか。空気の「在る」領域に存在する分子(=エネルギー)の密度と、人や物の「在る」領域のそれは、膨大なスケールの違いが実際にはあるのだ。空気と呼ばれる領域は「無」だと感じてもおかしくないくらいのスケールの違い。「宇宙」と「素粒子」について考えるとき、私たちの生きる空間のスケールから大きくかけ離れているという意味では全く等価なんだ。時間だって同じ。境界というのは、スケールの違いの幅によって、その明確さの度合いが変化するのではないだろうか。私たちが知覚しうるスケールは、この世界のほんの一部なんだよ。だから、境界は存在するんだ、と僕は思う。』

半分くらい煙に巻かれてますが、まあ少し落ち着きました。確かにスケーラビリティの問題は重要ですな。今書いていて、国語の教科書で読んだ小林秀雄(だったよね?)を思い出しました。「地球は丸い。厳密には扁平だが、地球の大きさに比べれば、その差はほんの僅かなのだ。だから、地球は実際には丸いのだ。」というような文章。

どちらにしろ、わたしたちの知覚は断絶されているのだなと思います。知覚の内と外では、スケール以上の大きな違いが横たわっているのです。あなたとわたしの間にも。まあ、そんなわけで、知覚的近くに説明上手なヒトがいることは幸福なことです。説明のお礼に、今度お花の名前を教えてあげましょう。美味しいご飯を食べましょう。
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【アンナの日記】

ホロコーストの時代に生きたアンネ・フランクにこの日記は関係ないけれどいつか訪れたいアウシュビッツの風景を記録として記憶として鮮明に残せるよう日常を少しづつ撮影してみたり文章を書いてみたり

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