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2006.09.15 Fri
human flower - LOVELESS 黒い海ver3.2

先月、クリスチャン・ボルタンスキー+ジャン・カルマン『最後の教室』を見たとき、わたしはわたしにとっての演劇的なるものの、ある究極のカタチを見たと思った。ボルタンスキーは、ジャン・カルマンの力を借りて、廃校を大きな劇場へと転換させた。

最も近しい概念は「通過」だ。0から1へ、1から0へ。誕生という世界との初の出会い、死という最期の別れ、その瞬間を、そのリアルな驚きを感じ生きなおす。0から1へ、1から0へ。わたしと世界を隔てる皮は、すこしだけ破られる。わたしと世界の間で滲む血の痛み。

そのとき私の耳は、世界中に叩きつけられた暴力による轟音を捉えるだろう。人の世はホロコーストにさらされ、私は知らぬうち暴力を行使することとなる。突きつけられた恐怖に、ブリキの太鼓は鳴り続けるのだ。

廃校で見たそれは、そんなものだった。わたしが躰をさらして「通過」した、ものすごいものだった。

そして今日見たあれも、全く異なるアプローチで、それを垣間見せた。見たことのあるようで、なかったそれ。これを作りあげた、その野蛮な力に賛辞を送りたい!そして、今後も続いていくというこのシリーズ、より強度と深度を増し、観客に強烈な体験をぶちまけてほしいと心より願うので、個人的な2つの要望を以下に。

1.もっと濃い闇を。
どろりとしてまとわりつく闇の濃さが、耳に突き刺さる静寂と重なると、皮膚をざわめかせ、物語の起爆剤になるのでは。

2. 生の身体に何を見るか。
語ろうとする身体をいかに見せるか。これは最近舞台を見て最も注意して見てしまうところだが、俳優の身体・ダンサーの身体の、その長所短所を時間空間的にどう構成すべきなのか、特にシーン毎にその感触をどう変容させるのか、少し平板に感じるので、まだまだいけるんじゃないでしょうか、欽弥さん。平板といっても、動を変化させるのでなく、静の部分をもっと掘り下げてほしいと思う。身体が語りたがるのを、もっと抑えるのが好み。能の役者みたいに、身体の密度を上げてほしい。

こうひとことで言ってしまうと強引すぎるのだが、この作品を「暗黒のメルヘン」とすると、いま「メ」と「ル」の間くらいに重心があるような気がする。この2つの要望は「の」に寄せられないかなという思いから。作品の中でぐわんぐわんとノイジーに重心の位置を大きく揺らせながら、平均すると「の」に。個人的好みは「く」くらいだけど。

human flowerのcrewたちは黒い海を沖へ沖へと漕ぎ続ける。漆黒の闇に、自らで標を見出しながら。その先に何があるのか、是非とも、私の眼で、私の躰で、確かめてみたい。

http://www.humanflower.net/
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【アンナの日記】

ホロコーストの時代に生きたアンネ・フランクにこの日記は関係ないけれどいつか訪れたいアウシュビッツの風景を記録として記憶として鮮明に残せるよう日常を少しづつ撮影してみたり文章を書いてみたり

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