2005-08

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2005.08.25 Thu
東野祥子、ケラリーノ・サンドロヴィッチ、(長塚圭史)、(嶋田久作)、ア ヤ   ズ、ジャンバルジャン

8/19に行ってきただに、キョートーへ。
8/20に行ってきただに、トウキョーへ。

キョートーキョートーキョートーキョーで
こんなヒトたちにお会いしました。

長塚圭史は偶然なので、( )内。
嶋田久作も偶然なので、( )内。

作品が「いま・ここ」にあることというのは、
個人的志向を誠実に追及しきったところに、
はじめて生まれうるもので、
そこで「美」という普遍性を得るのだということ。

だからこそ、
宗教という無限の主体を想定せずとも、
芸術という個人的な意思によって、
ワタシというヒトがモノが語られ救われるのだということ。

いえね、新幹線とかホテルで、
レ・ミゼラブルずっと読んでたんですが、
神的なるものがあらゆるカタチででてきましてですね、
ジャンバルジャンはその神的なるものからというよりも
個人の具体的行為・存在によって、
全てを棄て生まれ変わるわけですよ。
その変容のダイナミックさに胸を打たれ、
わたしはあの小説が実はかなり好きなのですよ。

ちょっと忙しく、
なかなかアレですが、
各々の作品についてゆっくりとまた書こうと思います。

東野祥子とア ヤ   ズには、心底恐怖しました。
東野洋子がただ「無」でスクリーンを見つめる瞬間に。
「ア ヤ   ズ」が飴屋法水になった瞬間に。
その眼差しの鋭さと、表現の攻撃性に。
尊敬の念を禁じえません。
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2005.08.17 Wed
物語憑き

憑き物の如くに物語。明けても暮れても物語物語物語。いったいいくつのヒトがコトがわたしの中を通過したのだろうと思います。物語を消費しまくってました。でもやっと憑き物が落ちましたよ。夢を見たんです。海の中の洞窟の、鍾乳石を見るために、緑色の濁った海に深く深く潜る夢。はじめは光が射さず、あまりに濁った海の色に戸惑い、潜ることができず、砂浜で恐怖に震えているのだけれど、やっぱり潜らなければと、海に向かうと、雲間から光が見えて、ヤコブのはしごのように見えて、その光を頼りに、海に潜るのです。恐怖に脅えながらも、深く深く。怖かった。残念ながら、鍾乳石は見ることができなかったのだけれど、それはそれで。ね、憑き物が落ちそうでしょ。フロイトの夢診断を参照するまでもなく、物凄く判り易い夢なんだけど、鍾乳石は見れなくて当たり前だろうけど、まあそんなわけで、物語そのものからはいったん離れ、今は口承文学とか神話・昔話・伝説等、「物語」の原点を探る読み物を色々と読んでいます。物語に近付きすぎたので、相対化するために。そんな暑い夏まっさかりです。

2005.08.09 Tue
60年を待たずに

60年前のきょう、
祖母は凄絶な光を目撃する。

捌けた女だった。
背が高く痩身で背筋のスッと伸びた女だった。

その光を見たのは今のわたしの年齢と同じくらい。
眼という器官を叩き潰すような光が山の向こうから一瞬で拡散する。
そして聴覚というものを忘れさせるほどの轟音があとに続く。
その瞬間ただ全てが終わるのだと思ったらしい。
この世の最も美しい光景のように少し早口で話す祖母の姿を思い出す。

町へ降りたとも言っていた。
皮膚を垂らしたヒトガタが歩き、
足下のたくさんの黒い瓦礫に紛れ、
黒く焦げたヒトガタが転がっている。

しかし町に降りた体験の中で最も忘れがたいのは匂いだったという。
その匂いだけは具体的には口にしなかった。できなかった。

例えようのない匂い、言葉にしえない匂い。

そのときの祖母の顔を思い出そうとするのだけれど、思い出せない。
忘れがたい匂いを言語化しようとする祖母の姿を、思い出せない。
想像もできない。

祖母は腫瘍で片目を失いながらも、
去年までは生きていた。去年まで。

わたしが同じところにゆくときまで、
今日が来れば思い出すのだろう。
息絶えた日よりもこの日に思い出すだろう。

そして彼女の姿を通じて、
あのときといまがつながるのだろう。

60年前のきょう、
アンネはすでに15才で亡くなっているが、
わたしの祖母はあの光と音を知覚する。

2005.08.07 Sun
偶然

きょうはまたどうもなーな感じで9割はうまく話せなくて9割は話す必要ないこと話してスマートとはほど遠い感じでつまりはダメだったしそれはそれで予想通りの結果でそんな意外性の無い自分に腹をたてたりたてなかったりして後悔は先に立ちまくりまくるものだといつもながらに思ったわけですが帰りの道すがらほぼ完全に会う可能性のない友人と会って本当に吃驚して生きていると予測不可能なことが起きることもあるのだとしみじみ感じ入り予測不能なことが全てですよ本当にと思いこれが男のヒトだったらきっと恋に落ちただろうと思ってしまいますよ本当に天文学的な確率を乗り越えたことが起こりうるのですよ本当に電子のトンネル効果みたいにポコリと実際に起こりうるのですよ本当にホンマですよ信じてくださいよ本当に別れは必然だけど出会いは偶然ですよ本当にこんなあたしだからこそ偶然が全てですよ本当に、ね~。

2005.08.04 Thu
・Na・Ri・Ka・Na・De・Mi・Ru・Ya・Mi・Yo・Mi・

先週見に行ってきました。
築港赤レンガ倉庫に。

太陽によって強く熱せられたレンガ倉庫。
足を一歩踏み入れるだけで、
身体中から汗がふきだすような空間。

光も闇も、
そして音も、
熱と共に毛穴から、
わたしに侵入します。

3つの区切られた空間を移動するごとに、
光も音も濃密さを増し、
日常で薄められたわたしの身体は、
大きな違和を覚えながらも、
空間との親和性を増し、
最後の部屋では、
光も闇も音も、
夢の世界のように、
幻想の世界のように、
わたしを包み込みます。

左右から時をずらせて明滅する光が、
空間を鮮やかに照らし、
同時にわたしの影も、
左右の壁に強く像を残します。

身体に強い違和を覚えながらも、
世界との境界が幻のように曖昧になるという、
不思議な体験でした。

ということで、
面白い体験ではあったのですが、
タレルの闇を経験したわたしは、
もっともっと濃い闇が欲しいと思いました。

完全な闇というのは、
真の真空と同様に作りえないのでしょうが、
わたしは完全な闇をこそ渇望しています。

わたしの果てなき欲望が、
満たされないことを知りつつ、
光を完全に遮断した世界に、
行ってみたいと思うのです。

ひかりなき
まくらなせかいに。

2005.08.03 Wed
西岡智さんのショウセツのフシギ

わたしが大好きな西岡兄妹さんのお兄さんの智さんがWEB小説を始められ、わくわくする気持ちで読みました。
http://www.seirinkogeisha.com/

言葉をたどっているのだけれど、漫画を読んでいるのと全く同じ感覚で、千晶さんの絵が頭の中に浮かんでくるようで、そのことにとても驚いてしまいました。ラストなど特に。薄暗くじっとりとした四角い部屋の中で、背中を丸めて震えるか細い女の躰と、布団の上で所在なげに呆然と立ちつくす男。

智さんと千晶さんは、文と絵で静かにドライに分業されているのですが、その表現の芯の部分のおふたりの結ぶ付きの強さにハッ・・とさせられました。最近は血のつながりの物語にわたし自身とても関わりがあって、気付くとそのようなものばかり読んだり見たりしているのですが、兄と妹というものの、家族というものの、血というものの、底知れなさに、言葉にはできない怖ろしさを感じます。

それはおふたりの作り出すものの静謐な狂気に少なからず繋がっているのだと思います。濃い血の重なりが、予想しえないカタチで共鳴し、カフカ的な不条理を生み出しているのだろうと。

また、智さんがとてもピクチャレスクな言葉を紡ぎだすことや、千晶さんが非常に感覚的でありながらなお独自の言語として絵を書かれているということを再認識しました。

これからもご活躍楽しみにしております。(画像お借りしました→)
わたしのこころのよりどころのひとつである
西岡兄兄妹さんのサイトはこちら↓
http://www.ztv.ne.jp/bro-sis/
長兄さんの写真展も是非とも。

2005.08.02 Tue
マシュー・バーニー「拘束のドローイング」展

あのすばらしい金沢21世紀美術館で、マシュー・バーニー!それも日本をテーマにした新作!ということで、行かなきゃ一生の後悔だ死んだほうがましだと思い、行きましたよ、また金沢へ。

この美術館のすばらしさは前にも書いたのですが、何がすばらしいって、レイアウトがすばらしい。作品提示のコンテキストを、さまざまな感覚を通じて、多様にコントロールできる空間となっているのです。今回、「拘束のドローイング」シリーズの全てを新作も含めて展示しているのですが、マシュー・バーニーは、このSANAAのコンセプトを最大限に生かし、空間全体を緻密に構成しており、わたしが展示室をたどり終えたときの、この世界の変容の感覚は何ともいえないものでした。

「拘束のドローイング」におけるコンセプトは、「拘束」が新たなる創造につながるというシンプルなものです。トレーニングを重ねることにより、筋肉は破壊されながらも、より強靭に生まれかわるように。アスリートはアーティストであり、アーティストはアスリートであるのです。そのような思索によって生まれる作品は、身体性を伴いながら、なお身体を取り巻く社会性をも伴い、拘束によって変容を生み出すというその行為は、異様な妖気を放ちながらも、滑稽でなお愛くるしいのです。

また「拘束のドローイング9」は映像作品なのですが、これも凄かった!西洋人である自をゲストとして、他であり異である日本の文化と、強引ともいえる力で関係を結びます。偏執的に変態的に美しい映像世界は、「拘束」という濃厚なエロティシズムを孕み、「拘束」に抗う究極の愛の交歓、「拘束」によって産まれる変容への激しい意思を映し出すのです!日本文化という、捕鯨船という器の中で、それらを媒介にして、ビョークを娶り、交わり、鮮やかに自らを変容させるのです!身体感覚のうちでも、皮膚感覚を強烈に刺激され、観客である私も、マシュー・バーニーとビョークと共に、痛みという「拘束」を乗り越えて、生まれ変わりを遂げるのです!その変容のその再生のなんと美しいことか!

世界と強く深く関わりを持ち、変容し続けるためには、強靭な意志と身体を持たねばなりません。アスリートとしてあり続けるマシュー・バーニーの「拘束のドローイング」を通過し終えて、そのことが身体を持って姿を現したように思えます。ビョークの神々しくも隠微な歌声と共に。強く明瞭なマシュー・バーニーの力が像が。ありありとここに。贅肉ひとつなく、張りつめた美しい肢体が。眼の前に。触れられるほどに。眼の前に。強靱な心身を持ち、異形の美を携えて。

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【アンナの日記】

ホロコーストの時代に生きたアンネ・フランクにこの日記は関係ないけれどいつか訪れたいアウシュビッツの風景を記録として記憶として鮮明に残せるよう日常を少しづつ撮影してみたり文章を書いてみたり

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