2017-05

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2007.05.18 Fri
「アパートメントハウス1776」

もう少し眠っていようと思っていたけど、
ちょっとあまりにすてき作品に出会ったのでメモ。

アルディッティ弦楽四重奏団+ケージ+白井剛
「アパートメントハウス1776」


作品の、そのあまりの繊細さに、
首を真綿で締め付けられるような、
おもしろみを発見することができました。

こういうのも、あたし、
おもしろく見ることができるんだなと。

では、もう少し眠ります。



画像;夢の家 (Dream House) マリーナ・アブラモヴィッチ
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2006.11.24 Fri
BABY-Q “GEEEEEK”

瞬く間を激烈に跳び駆ける躰形。

geeeeek-top.jpg

見ないと死にます。あたしは確実に死ぬと思う。
まだ間に合う。死ぬな。

2006.09.15 Fri
human flower - LOVELESS 黒い海ver3.2

先月、クリスチャン・ボルタンスキー+ジャン・カルマン『最後の教室』を見たとき、わたしはわたしにとっての演劇的なるものの、ある究極のカタチを見たと思った。ボルタンスキーは、ジャン・カルマンの力を借りて、廃校を大きな劇場へと転換させた。

最も近しい概念は「通過」だ。0から1へ、1から0へ。誕生という世界との初の出会い、死という最期の別れ、その瞬間を、そのリアルな驚きを感じ生きなおす。0から1へ、1から0へ。わたしと世界を隔てる皮は、すこしだけ破られる。わたしと世界の間で滲む血の痛み。

そのとき私の耳は、世界中に叩きつけられた暴力による轟音を捉えるだろう。人の世はホロコーストにさらされ、私は知らぬうち暴力を行使することとなる。突きつけられた恐怖に、ブリキの太鼓は鳴り続けるのだ。

廃校で見たそれは、そんなものだった。わたしが躰をさらして「通過」した、ものすごいものだった。

そして今日見たあれも、全く異なるアプローチで、それを垣間見せた。見たことのあるようで、なかったそれ。これを作りあげた、その野蛮な力に賛辞を送りたい!そして、今後も続いていくというこのシリーズ、より強度と深度を増し、観客に強烈な体験をぶちまけてほしいと心より願うので、個人的な2つの要望を以下に。

1.もっと濃い闇を。
どろりとしてまとわりつく闇の濃さが、耳に突き刺さる静寂と重なると、皮膚をざわめかせ、物語の起爆剤になるのでは。

2. 生の身体に何を見るか。
語ろうとする身体をいかに見せるか。これは最近舞台を見て最も注意して見てしまうところだが、俳優の身体・ダンサーの身体の、その長所短所を時間空間的にどう構成すべきなのか、特にシーン毎にその感触をどう変容させるのか、少し平板に感じるので、まだまだいけるんじゃないでしょうか、欽弥さん。平板といっても、動を変化させるのでなく、静の部分をもっと掘り下げてほしいと思う。身体が語りたがるのを、もっと抑えるのが好み。能の役者みたいに、身体の密度を上げてほしい。

こうひとことで言ってしまうと強引すぎるのだが、この作品を「暗黒のメルヘン」とすると、いま「メ」と「ル」の間くらいに重心があるような気がする。この2つの要望は「の」に寄せられないかなという思いから。作品の中でぐわんぐわんとノイジーに重心の位置を大きく揺らせながら、平均すると「の」に。個人的好みは「く」くらいだけど。

human flowerのcrewたちは黒い海を沖へ沖へと漕ぎ続ける。漆黒の闇に、自らで標を見出しながら。その先に何があるのか、是非とも、私の眼で、私の躰で、確かめてみたい。

http://www.humanflower.net/

2006.04.17 Mon
ブラボー!!!!!

本日見てきました、ヴィンセントのパフォーマンス! 本当にすばらしい作品で、わたしのなかのすべての細胞が、ぐわんぐわんとダンスしました!ほんとぐわーってぐわーってこんかかこんかかぐわーっずずんずんずんっぐわーってきたよ! 会場と時間が変更になっています!お気を付けてご来場ください。
http://www.alice-zerobankan.com/audi-index.html

2005.09.13 Tue
シカンノダンス

BABY-Q Solo Dance「ERROR CORD///pcshyoyplsh」
について書こうと思います。

勅使河原三郎に触れながら、
東野祥子に触れないわけにはゆくマイマイ!

オモイダソウ
アノジカン・アノクウカンヲ


『耳に入り込むノイズ
レコードのノイズのようにパチパチとはぜる
微かな断続音がうねりとなりわたしの渦巻きを満たしていく
いつしかわたしの身体を出て空間をも侵食する

細い光がゆっくりと空間に入り込む
硬質な点滴器具とビーカーがぼんやりと光る
髪の長い女が器具に何かを注ぎ込む
音が徐々に強まる
小さな人形がビーカーに向け下降する
ゆっくりとヒトガタがくだり
ゆっくりと闇が訪れる

闇が解け光が溶けレトロな分娩台が見える
ニチリと音のなるような黒革張りの奇妙なシート
背を向け囲むように男たちの影が落ちる
分娩台の中央には白いシーツと開かれた白い足
そしてまた闇

残された分娩台
その存在に空間は歪み軋み
わたしのこころを違和で満たす
その違和が臨界となるところで
白いシーツが蠢く、奇怪に
胎のあたりがグニグニと蠢く
さまざまにカタチを変えながら
やがてシーツは落ちていくズルリと
小さな白いカラダが見える
やがてカラダは剥れていくズルリと

分娩台の両脇にスクリーン
血が液体の中を沈んでゆく
濃厚な血液はドロリドロリとくだり
分娩台の女は中央でゆっくりと身を擡げる
堕ちた身体が、踊り始める』

冷徹な視線の感触がずっとここにあるのです
アフターダークで村上春樹が描いたような純粋な視点
都市を視姦する点が常にわたしを取り巻いています

そして血なまぐさい手術器具に囲まれながら
都市の輪郭を徹底的に力を抜いて描き
都市におけるセクシャリティを浮き彫りにします

勅使河原三郎と東野祥子の作品の手触りの違いは
実はその性にあるのではと思います

本質的にイノチのワから外れている男のヒトにとって
風花つまり晴天にはらはらと雪が舞い散るという常ならざる瞬間に
ヒトが呼吸をはじめます
突然出現する小さなヒトに対する大いなる違和

ところが女は
当たり前のように
オモミのあるヒトノコを生む
ドロリとした血の塊とともに
オギャアというノイズを奏でる血塗れの嬰児

ヒトというものはエラーである

その思考は女であるわたしにとって
都市におけるセクシャリティそのものです
哀しくもイノチのワに取り残されたわたしたち

無機質な分娩台の上で足を開き
冷たい器具に内部を掻きまわされ
医者という社会の男の眼にさらされながら
好まざるともイノチのワをつないでゆくのです

そうして生まれるエラーの集合体である都市は
ノイズや熱を発しながら
エントロピーを増大させながら
崩壊への道をゆっくりと進むのだと思います

けれどエラーが発生することにより
システムの変容の可能性もまた生み出されるのです

エラーだからこそ空間を混乱させ
エラーだからこそ消失を約束される

ラストシーン
東野祥子はただ呆然とスクリーンを見上げます
失われた風景
失われたヒトビト
自らもすべてを失います
多くのエラーを巻き起こしながらもエラーとして自らが失われます

そのあらゆるものの喪失に、ただ、ゆっくりと、身体を揺らします
そして沈黙と闇

ヒトやイトナミが消失し
ただ分娩台が残された空間
そこに手術器具が一気に降ります
銀色に光るその道具らは
失われたわたしたちをシカンし
その鋭い先端でわたしを貫いてゆくのです

ヒトはエラーとして世界に生まれオチル
ヒトはエラーとして世界から失せオチル

なんてことを思いましたよ

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【アンナの日記】

ホロコーストの時代に生きたアンネ・フランクにこの日記は関係ないけれどいつか訪れたいアウシュビッツの風景を記録として記憶として鮮明に残せるよう日常を少しづつ撮影してみたり文章を書いてみたり

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